医療現場において「患者の意思を優先する」とは?

公衆衛生

現在、救急・集中治療における生命維持治療終了/差し控えに関する4学会のガイドラインが改訂中で発表待ちになっています。

2026年2月にパブリックコメントが募集されましたが、患者団体などさまざまな関係者より意見が殺到しているようです。

終末期の定義を無くした点や治療の差し控えというフレーズに対する不安感が大きいのだと思います。

患者団体の皆様のコメントには実際の経験に基づく重大な指摘が含まれており、決して軽視はできません。

一方でこのガイドラインの意図するところは素晴らしいと感じているので複雑な気持ちです。

医療記者の岩永直子さんは、「一部の医療者の誤った解釈」について目を向けています。

正直、これに尽きるのかと思います。

このガイドラインを全ての医療者が正しく解釈できれば問題ないのですが、なかなかそうはいきません。

患者団体の方の中には信じられないような経験を話される方もいます。

自分が1番印象的だったのは佐藤さんのケースです。

心停止蘇生後まもなく、担当医から治療の中止を勧められたというものです。

以下リンクより引用します。

佐藤さんは64歳だった2015年1月21日の早朝、突然胸に激しい痛みを感じて倒れ、心肺停止、意識不明となった。

10分後に救急隊が到着し、すぐに心肺蘇生が始まった。病院に搬送された後も心臓は動かず、妻のひろ子さんは、医師から救命治療についてこう尋ねられた。

「心臓が40分から50分止まっていた可能性があり、今も命が保つかわからない。助かっても重い低酸素脳症が残り、寝たきりになるかもしれない。さらに、これ以上、胸骨圧迫を続ければ、肋骨が折れ、内臓を傷つける恐れがあります。それでも続けますか?」

ひろ子さんは「心臓だけでも動かしてください」とお願いし、医師たちはそのまま蘇生を続けた。その結果、佐藤さんの心臓は再び鼓動を打ち始めた。

すぐに心臓カテーテル手術が行われ、集中治療室に運ばれ、生命維持治療が始まった。診断は心筋梗塞だった。

3日経っても意識は戻らず、家族は医師から「どこまで延命治療を続けるのか決めてほしい」と告げられた。5日目も意識は戻らず、再び医師からいつまで治療を行うのか尋ねられた。その時、医師は「人工呼吸器や胃ろうでの延命治療を続ければ、介護は長期化し、家族の負担も大きくなる」とやんわり治療停止に誘導しようとした。

信じられない、の一言に尽きます。

言い方があまりにも酷いですね。。。

しかも目が覚めて社会復帰されているので、厳しいようですが医療者の医学的評価が甘いとしか言いようがありません。

さて、今日はそのような背景を踏まえて「患者の意思を優先する」ということについて考えてみようと思います。

きっかけは『医療現場の行動経済学:すれ違う医者と患者』を読んだことです。

なぜ一見不合理に見える行動を医療者も患者もとってしまうのか、その理由を行動経済学の視点から分かりやすく書いている一冊です。

本人に決めさせさえすれば良いのか

今では「患者本人の意思」はとても大事にされています。

昔はまな板の上の鯉、なんて言い方もありましたけれど。

では患者本人の意思が何よりも優先される、が結論で良いのでしょうか?

なんと言っても医療倫理には「自律原則」がありますので。

では例えばこのような場合どうでしょうか。

・・・これ放っておくと出血で死んでしまうかもしれませんよね。

このような症例で、本人の意向を尊重し見殺しにするのは倫理的に許容されるのでしょうか?

自己決定権と愚行権

まず権利の歴史について話します。

非常に面白いのが「自由論」を記したジョン・スチュワート・ミルが提唱した「愚行権」という考え方です。

簡単に言うと「自己決定権は何よりも優先される。たとえ愚かな行為であっても、自己決定権が失われるよりはマシなはず」というものです。

ミルが自己決定権を制限して良いと言ったのは「他者に危害を加える時のみ」です。

他人に危害を与える行為だけは、意志を否定して権力を行使して良いとされています。

そこは確かに納得ですね。

では、先ほどの症例もそうですが「危害を与えない愚かな行為」の場合に、「やりたいようにやらせておく」でいいのでしょうか。

それは当然、非倫理的かと思います。

一見するとミルがおかしいように見えますが、ここには長い戦いの果てにようやく勝ち取った「自由」を決して失ってはいけないという強い思いがあります。

彼自身も「自分の判断で苦しむ人がいたら、その人の負担を減らしてあげられるように努力したい」と語っています。

同時に1番良くないのは、「愚かな行為と分かっておきながら、何も言わず放置すること。」と明言しています。

では、医療現場に戻ります。

もし患者が医療者から見て、あまりにも「愚か」に見える選択をしていたらどうすべきでしょうか。

(愚かと言う言葉が悪い響きですが、倫理学の用語として使っているのでご容赦ください。決して患者さんを貶める意図はありません。)

どう考えても医療者の医療知識を家族や患者が超えることは不可能です。

だからといって説明もせず愚かな選択肢をさせる、と言うのも当然に誤りになります。

一方で、患者や家族は絶対に嫌なことはきちんと拒否する権利があります。

なので、必ずしも医療者の絶対に従う必要はないが、どこまでもその道へ促すように伝え続ける義務があるのです。

そのため先ほどの「断固拒否!」のような症例には、懇切丁寧に治療の道を目指して説明し続ける他ないのです。

例えば「なぜ怖いのか」を聞いたり、麻酔が使えることや自然には止まらないことなどを懇々と話すしかありません。

本人に意識がない場合はどうするべきなのか

とは言っても具合が悪い状態では本人に十分な判断をする余力がないかもしれません。

この場合には当然、周囲の人たちが判断するしかありません。

ここで大事になるのは、「家族に決めさせるわけではない。」ということです。

しばしば患者家族に決断を迫る医者、という構図を見かけますがあまりにも残酷だと思います。

なぜ家族に話を聞くのかといえば、決して責任を取らせるためではありません。

あくまでも「本来は患者がどう思うか本人に聞きたい。だがその考えが今は聞けないから、代弁者となって欲しい。決して代理意思決定者ではない。」というスタンスが大事かと考えます。

そしてその議論を経て、家族と医療者とで最善な答えを決めていくのです。

これがいわゆるShared-decision making(SDM)の考え方ですね。

人はなぜ後悔するのか

ですが治療するか悩ましい場合もあります。

特に先行きが見えない時には、治療することが患者にとって利益となるのか医療者にも分かりません。

ではここで、「人はなぜ後悔するのか」ということを考えてみましょう。

例えば、自転車のヘルメットを普段から被らない人がいたとします。

この人が転んで頭に怪我を負っても、何も思わないでしょう。

怪我しちゃったなー、くらいです。

ただいつもヘルメットを被ってる人が、たまたま外している時に頭に怪我をしたら超後悔しますよね。

「もし被っていれば」という思いがとても強く出てくるのです。

このような反実仮想的な思考(事実とは異なる、という意味です)が生まれることが、後悔の強さになります。

これを例えば治療行為に落とし込むと、重症で悩ましい時に治療するかしないかが似ていると思います。

もし医療行為が医学的に妥当(本来なら当たり前のように被られるべきヘルメット)だとすれば、普通は治療を受けますよね。

でもそれが曖昧な理由で選択されなかったらどうでしょうか。

さまざまな反実仮想が生まれてしまいますね。

一方で行為を行うと、結果が必ず伴うので後悔は制御されると言われています。

「やりきれなかった」という思いがあると、無数の可能性を考えてしまい苦しむわけです。

これが冒頭の4学会合同ガイドラインでも書かれたTime Limited Trials(TLT)を勧める一つの理由です。

当然ですが、単にちょっと重症だから、、、ちょっと高齢だから、、、での治療の差し控えは絶対に避けるべきだと思います。

しかし重症、高齢を一つの要素として「医学的に治療が限界(いわゆる治る見込みがない)」と明確に医療者が感じるならば、それは患者にとってのゴールがない無益な治療行為(もはや治療と呼びませんが)になります。

ですので医療者としてはそう言う症例ではきちんと「医学の限界です」と伝えてあげることが務めかと思います。

もちろん受け止められない患者や家族も多いですが、その感情は当然のものです。

その感情があるからといって患者に無益な侵襲を加えるのは誤りでしょう。

ただここできちんと伝えてあげることが、残された家族のグリーフケアになるはずです。

曖昧な言葉でお看取りにされることが、1番悔いが残るということですね。

世の中の動きについて

ガイドラインへの反対意見も出ていますが、自分としては大枠はこの方向で進んで欲しいと思います。

特に最近の若い先生たちは、このあたりの価値観についても非常によく勉強しています。

患者団体の皆様が経験してきたり危惧したりすることは、減ってきていると自分は思っています。

むしろこのように患者1人1人に向き合い、個別の価値観を反映させた治療選択をすることこそAI全盛期を迎える医療者のあるべき姿ではないでしょうか。

以前扱った文献でも、デバイスや機械が進歩したICUではむしろ家族との関係性が深まると言うものがありました。

効率化され削減した時間を、このような患者に向き合うことに費やしていければより良い医療現場が醸成されていくのではないかと感じています。

本日はこの辺で、ではでは。

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