今回は興味深いeditrorialsを扱おうと思います。
先週紹介した書籍の最後のコラムで触れられていた文献です。
「医師はなぜ無意味な治療を行うのか?」というテーマです。
そんなことあるのか?と思うかもしれない20年以上前の文献ですが、今にも通ずる非常に奥深い内容です。
Doust J, Del Mar C.
Why do doctors use treatments that do not work?
BMJ. 2004 Feb 28;328(7438):474-5.
PMID: 14988163; PMCID: PMC351829.
ジェームズリンドは世界初の臨床試験で壊血病に対して柑橘類の効果を示した。
しかしその彼ですら自分の作ったエビデンスではなく、硫酸の使用にこだわっていた。
彼は壊血病が「腐敗」によるものと考えており、酸性物質が好ましいと考えていた。
その仮説に引っ張られていたため保存の効き持ち運びのしやすい硫酸を推奨しようと躍起になってしまったのだ。
医療の歴史には一般的とされていた治療が、のちに効果がなかったり、ないし害を与えたりする例がある。
最近で言えば統合失調症へのインスリンや心筋梗塞へのビタミンCなどもある。
なぜ未だに効果のない治療を行なってしまうのだろうか?
一つには我々は治療行為に対して過剰な期待をしてしまうことがある。
「医療の技とは、自然が病気を治す間、患者を楽しませることにある。」という言葉もある。
患者は我々が何をしようとも、自分で良くなったり悪くなったりすることが非常に多いため、臨床経験は何が効いて何が効かないかを判断するのに適した基準ではない。
これらを踏まえ適切な臨床試験で治療効果を評価する必要がある。
そして効果的な治療には、医療が化学や疾患の病態生理学に基づくことが重要であると教えられる。
しかしこの介入が間違っている例を多く経験する。
例えば心不全に対してβ遮断薬が禁忌とされたり、コロイドが晶質液より優れているとされたりと今では誤った認識がなされていた。
だが効果のない治療についてだけで議論を終えてはならない。
術前の無駄な血液検査に代表される、治療以外にも無意味とされるものがある。
これらは診断的に有用であるというよりも儀式に近い。
効果のない治療法や有害な治療法が用いられる理由
• 臨床経験
• 代替アウトカムへの過度の依存
• 病気の自然経過
• 病態生理学的モデルへの愛着(それが間違っている場合)
• 儀式と神秘性
• 何かをしなければならないという必要性
• 誰も疑問を呈しない
• 患者の期待(現実的または推定されるもの)
医師は苦痛を和らげたいと願っている。
そして何もせずにいることを難しいと感じる。
稀な診断を見逃すことは、過剰な検査による害よりもずっと悪いことなのだろうか?
効果のない治療法や検査を使わないためには、どんな希望があるのだろうか?
効果のない、あるいは有害な医療から守るためには、患者のために最善を尽くしたいと願い、自身の管理方法を常に問い直し、何が有効であるかについての情報源を持っている医師が必要である。
何かをしたくなる医者ってとても多いです。
世の中的には「less is more」とか「choosing wisely」という概念も叫ばれてきているものの、未だに不要としか思えない検査や薬を入れ続ける医者がいます。
主治医制なら好きにすれば良いのですが、昨今のトレンドのチーム制になった時がタチ悪いですね。
というのも「誰かが提案した検査や薬」って否定する根拠が難しいです。
すると思いつきで言った不要な介入が、自然と採択されてしまいます。
このあたりのバランスが取れている施設ってすごく少ないです。
もちろん自分の過去所属でも出来てる施設はありましたが、全国的には相当稀でしょう。
なんとか患者を良くするという想いを共有した上で、自分の行いが害になっている可能性を考えて一歩引いた考えができると良いですね。
自戒も込めてではありますが、古いながらも今にも通ずる非常に奥深い一本でした。
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