臨床と研究のバランス~Dr.Bellomoからのメッセージ~

医学日常

今回は先日公開された日本集中治療医学会からの動画で感銘を受けたので、そちらの感想を述べていこうと思います。

内容としては集中治療領域で巨匠と評されるDr.Bellomoが日本の若手研究者に向けて送ったメッセージビデオです。

以下に先生が話されていた概要をまとめていき、最後に感想を記載しようと思います。


EBMのはじまりとANZICS-CTG 30年の歴史

変化を起こすには時間がかかる。

Bellomo先生が研修医だった1980年代は生理学的な指標を管理することが基本とされる文化だった。それは現在にも通じることであり、常に病態生理学を考える必要がある。

しかしBellomo先生が集中治療専門医になったころにはエビデンスに基づく治療(Evidence-Based Medicine:EBM)を重要視する風潮が出始めた。

これはカナダのMcMaster大学から始まり、集中治療領域ではDeborah Cook先生がリーダーとして牽引していた。

まだEBMという概念に理解が乏しく、これがいかに患者を含めた全ての関係者の将来に有用かを示す必要があった。

このEBMを進めるための最初のグループ(CTG)によるミーティングは1994年に行われ、参加者は12名ほどだった。ただそのメンバーはSimon Finfer先生、John Myburgh先生、Jamie Cooper先生など、今でも活躍している先生ばかり。

ただ最初は資金やRCTの実績もなく、低容量ドパミンとプラセボでの比較試験を行なった。たった320人の小さな臨床試験ではあったが、これはLancetに掲載され大きな第一歩となった。

そして1998年にBMJがアルブミン投与に関する発表を行い、アルブミンの有害性を報告したことも大きな転換点だった。当時オーストラリアではアルブミンをよく使っていたので、有害性が懸念された。そこで臨床試験を行なった実績のあるBellomo先生たちにチャンスが訪れた。これを利用し政府が資金提供するようなネットワークを作り、SAFE試験が行われた。

これが非常に大きな転換点で、集中治療領域で今までに無かった6997人という大規模な臨床研究となり、NEJMに掲載された。

その後もNICE-SUGAR試験、RENAL試験と成功を重ね、さらに政府から支援を得ることも出来るようになった。

今でこそこれだけ有名雑誌に投稿を続けることが出来るようになったが、ここまでくるのに30年の歳月を要した。

これらを通じて分かった大事なことが2つある。1つは若い研究者を守り支援すること、もう1つは世界規模で協力関係を築くこと。

研究を始める際には、まず最初にプログラムを考える必要がある。手順としては疫学研究、生理学研究、動物研究。第2相試験、そして第3相試験へと進む。最近のTAME試験はこの工程に10年の月日を費やしている。

Bellomo教授の原動力とメンター

研究を行う原動力になったものはアメリカでの経験だった。1992年のピッツバーグ大学は世界最大のICUで、当時160床近くの人工呼吸器管理を行っていた。

そこで若くして活躍している臨床研究者たちに出会う機会があった。そしてMichael Pinsky先生がメンターの1人で、循環生理学の分野で多くの業績を残していた。このような素晴らしい経験をオーストラリアでも同様に行いたいと感じたことが原動力の一つ。

もう一つはオーストラリアで分子生物学の分野でアメリカと競うのは厳しいと感じたが、臨床研究はチームプレーが得意なオーストラリアでも勝負できると思ったため。

時間やエネルギーのマネジメントについて

まず何よりも妻の支えが大きい。40年間、週70時間働くことをずっと支えてくれた。

そして研究を仕事だとは思っておらず、情熱を注ぐ対象だと感じている。仕事よりもはるかに重要なこととして。研究は発見であり、好奇心であり、真実を見つけようとすることであり、正直さであり、知的な挑戦であり、旅であり、良い仲間たちと仕事をすること、分かち合うことであり、まさに喜びである。

自分はとても幸運だと思う。朝起きると仕事に行きたくてたまらない。そして一日が終われば家に帰りたくてたまらない。

日本とオーストラリアの研究環境について

オーストラリアの教育病院のICUの多くでは、リサーチコーディネーターが患者の登録やランダム化、データ収集などを支援し、レベルの高い研究を実施できるように優れたサポート体制を整えている。日本とはだいぶ状況が違うと思う。オーストラリアの臨床試験グループには約150人のリサーチコーディネーターがいて、日本の規模なら500人ほどいることになる。これは大きな違い。

しかし大事な点として、30年前にはオーストラリアでも0だった。一歩一歩、進めていくことが大事で、これが無ければ現代社会における高次医療機関のICUとは言えない。

日本のICUは研究システムに関しては、まだ現代社会にいない。それは現代社会で電気自動車を持っていないのと同じレベル。これが大きな日本の足枷になっている。

受け入れた日本人フェローたちも、いったん帰国すると世界レベルで活躍できるほどのリソースがないため知識や技術を活かせない。

これが集中治療において日本が、カナダやフランス、オーストラリア、イギリスほど論文発表で劣る理由になる。今後、若い世代が「研究は集中治療の根幹を成すもの」と考え方を変えていく必要がある。

日本は資源・人材・高い教育レベル・高い臨床実践レベルを持っているので、それに見合うようにEBMの臨床試験においても生産的であるべき。

仮に日本で臨床研究に今自分が取り組むなら、まず1人では何も出来ないということを受け止める。そしてソーシャルメディアを使って、人々のネットワークを作る。そして一緒になり変化を起こしていく。

日本がオーストラリアよりも年功序列であり、上司の権力が強く変化がゆっくりな社会であることも分かっている。

だが、逆に言えば時間がかかるからこそ今すぐ動き出す良い理由になる。

ソーシャルメディアでの発信について

Twitterでのメッセージはまず第一に意見ベースではなく、中立であることが必要。

例えばMEPMの持続投与か間欠投与かを尋ねられたら、一つの答えとしてJAMAのMERCY試験のリンクを教える。

しかし決して「意見」を採用しないこと、エビデンスをみて自分の頭で考えることを強調している。

エビデンスは真実でなく、あくまでもエビデンス。意見よりは少し上。意見はとても簡単だが何の意味もない。真実はもっと複雑。しかしエビデンスこそが我々が提供できるもの。

ツイートするのはいつも自分で書いた論文で、他の人の仕事について扱いたくはない。

自分がいつも言っているのは「人々が信じているものに、常に疑問を持たなければならない」ということ。あらゆるものに挑戦の余地が残されている。

私たちが今日信じていることは、全て正しいとは言えない。常に小さな問題、あるいは大きな問題もある。いつも冗談で言っているが、「特に自分が信じていることについては決して信じてはいけない」。

もし自分が何かを信じているとしたら、それは本当に真実なのだろうか?と挑戦しなければならない。

疑い、挑戦し、また疑い、また挑戦し、そしてエビデンスを見つける。

診療の現場で臨床研究のテーマを考えることについて

重要なことは、研究の世界と臨床の世界は常に緊張関係にあるということ。臨床医が確率で仕事をすることはできない。看護師に挿管を尋ねられたら、確率では答えられない。明確にYesかNoで答える必要がある。もちろんNEJMの論文を読んでいるので、ビデオ喉頭鏡があれば初回挿管の成功率が上がると考える。ただ、看護師の問いに対する答えはYesで変わらない。

この2つの異なる世界は異なる言語を使っていると理解する必要がある。臨床家には常に敬意を払う必要があるが、同時に常に挑戦し続けなければならない。これは非常に難しい。

頭の中で2つの異なる立場を持たなければならない。右脳がYesかNoを考え、左脳が確率や疑問、挑戦、研究を考えている。

AIが臨床研究に起こす変化について

AIの要素、特に自然言語処理に関するものは、数字が現実を捉えていない状況など、私たちに見えていない側面を理解するのに役立つ。

私たちは今、ベッドサイドの医師や看護師のすべての記録を解析することが出来て、さらには感情分析と呼ばれるものも行える。これは興味深い開発分野と言える。

AIが可能にする第二のことは、ランダム化のプロセスをより洗練されたものにすること。ランダム化する前にAIを使って、生理学的および臨床的特性において同じような人々をより正確な確率で割り当てることが出来るようになるからです。おそらくAIによるランダム化が行われるでしょう。

観察研究においても現在完全には理解できていない行動パターンや、治療に対する反応性のパターンを特定するという点でより洗練された仕事が出来るようになることは明らかだろう。

最終的にはAIは電子カルテに組み込まれ、臨床医をサポートすることになるだろう。AIが臨床医にどのようなアクションを考えるべきかを指示し助言を与え、臨床医が思い付かないような可能性を提示することが出来るようになるだろう。

ただそれがどれくらいかかるのか、どのような形になっていくのかを知ることは不可能だろう。ただ私が集中治療医になった頃はインターネットも携帯電話もなく、ようやくパソコンが出始めたばかりだった。当時、今後の世界を予想しろと言われれば全く出来なかっただろう。存在すらしなかったのだから。

つまり私たちが予測することのいくつかは誤っているでしょう。なぜなら10年後、20年後にどのようなテクノロジーが存在するかは分からないから。

これからの集中治療医・教育への期待

臨床と生理学のトレーニングはますます良くなっている。超音波のような技術を取り入れることで多くの事が簡単になり、ビデオ喉頭鏡により挿管が非常に簡単で安全なものになった。臨床医としてのトレーニングや教育はオーストラリアでも日本でも、とても素晴らしいものだと思う。

ただもっと若い医師に研究が生活の一部であることを教える必要がある。研究は臨床の一部でもある。臨床に携わりながら、研究に参加しないということは出来ない。研究を主導する必要はないが、参加はしなければならない。研究に価値を見出し、研究を支援し、自分の考えや行動を疑い、疑問を持ち挑戦することを学必要がある。

私たちは常に自分たちが行なっていることを改善していく必要がある。常に挑戦し、挑戦し、疑って、疑って、疑問を持ち続けなければならない。

これはオーストラリアでも十分には出来ていないと思う。臨床医は常に疑問を持ち続けなければならないということや研究と臨床は双子のようなものであり、研究をしなければ質の高い臨床医にはなれないということをあまり意識せずに育ってしまっている。


以上です。いかがでしたでしょうか。

身に沁みる言葉が多く、日々の自分が忙しさにかまけて臨床研究をおろそかにしていることが恥ずかしくなりました。

一番響いたフレーズは

朝起きると仕事に行きたくてたまらない。

そして一日が終われば家に帰りたくてたまらない。

自分はとても幸運だと思う。

という部分です。

どちらか片方の人は一定数いると思いますが、これを両方感じているのは本当に素敵です。

自分も家族の支えに感謝しつつ、こんな感情を抱けるような仲間と働けたら良いなあと切に思います。

総じて素晴らしい動画でしたが、あえて不満を挙げるなら1点。

なぜこんなに広告掲載しているのでしょうか。。。煩わしくて仕方ありません。

せっかく内容が素晴らしいのに、こんなに間伸びされては途中で止める人もいそうです。

企画、内容ともに素晴らしいので、是非次回からは視聴する側がもっと見やすくなるようにして頂けるとより良いなと思いました。

本日はここまでです。ではでは。

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