体に彫られたDNR!蘇生はどうする?

論文関係

今回は倫理的に考えさせられる問題を知ったので、記事にしようと思います。

具体的には搬送されてきた患者に「DNRのタトゥーが彫られていた」場合にどうするかです。

ちょうど面白い文献があったので、お示ししようと思います。

Holt GE. An Unconscious Patient with a DNR Tattoo.

The New England journal of medicine 2017;377(22):2192-2193


症例は70代の男性、いろいろな既往があるようですが、今回はアルコール血中濃度も高く意識がないようです。

何よりも意識がないだけでなくpH 6.81(!!)ということで、他のバイタルなど見ずとも相当の重症ということがわかりますね。

しかしNPPVや昇圧薬を使った治療を進めても意識の改善は乏しく、医療者が胸元に書かれた「Do Not Resuscitate」のタトゥーを発見します。

医療者は当初、そのタトゥーを信用せず治療を進めましたが、院内倫理コンサルを行いました。

結果としてそのタトゥーを信頼することを提案されたそうです(!!)。

時を同じくしてフロリダ州による公的書類で「院外でのDNR」を示したものの存在及びタトゥーの裏付けが取れたため、タトゥーに準じたcodeになったようです。

結果として男性は蘇生や気道管理を行わず死亡しました。


この症例、どう思うでしょうか。

非常に含蓄に富んだ症例かと思います。

以下に自分の思うところや一般論について記載していきます。

本当にタトゥーに従って良いのか

今回は倫理委員会を通しての判断であり、ステップは踏んでいるため問題ないと思います。

ですが、基本的にはこのタトゥーは信用してはいけないでしょう。

そのため今回の対応チームの初期対応は、全くもってその通りだと思います。

まずDNRというのは院内での指示です。

つまり「発熱したら解熱剤を使用してください」のように「院内で心停止した際には、蘇生行為は行わないでください」という意図です。

なのでそもそも院外では効力を持ちません

同じように「過去にDNRと指示されていた人が、院外で心停止したらどうなるか」という議論もあります。

これも基本的にはリセットですね。

本来は人を救うことが求められるので、院内での原病の進行による心停止には介入しないというのがお作法でしょう。

例えば院外では予期せぬ窒息や外傷など、原病に関係ないイベントも起こり得ますから。

自宅で餅を詰まらせて心停止の時に、餅を取らないって意味不明ですよね。

このような事前指示は海外ではPOLST(Physician Orders for Life-sustaining Treatment)と言われていますが、本邦では集中治療医学会からも注意喚起がなされています。

一部の自治体では取り入れているようですが、相当に慎重になる必要がありそうです

DNRの本来の意味は?

さらに細かいことを言うと、DNRは心停止して初めて効力を持ちます。

この症例はまだ心停止に至っていないようです。

文献だけ見るときちんと挿管して呼吸器管理を行う必要がありそうに見えますね。

もちろん本人の意思に反している可能性はあります。

ですが意思決定の過程で、治療が片手落ちになっていなかったが気になるところです。

今回は幸い後から本人の意思が公的文書で見つかりましたが、これが見つからず後からきた家族に「本人は来月に大きなイベントを控えていて、生きる活力があった!」などと言われた日にはやるせない気持ちになります。

しかもこれって医療者が悪いですからね、訴訟必至です。

医療経済の問題は置いておき、基本的には適応のある蘇生行為は緩めてはいけませんね。

大事なことはcodeでなく価値観

あとは大事になるのはcodeではなく、どうしてそこに至ったかの過程や価値観でしょう。

ACPにも通ずるところですが、まずは本人の価値観を理解することが必要です。

そして医学的な状況を評価し、その妥当性を持ってcodeを設定すべきです。

結果としてのcodeだけ見ているようでは医療者失格、その個人の人生観を踏まえて意思決定を後押しする必要があると思います。

なんなら同じようなタトゥーが入っていたものの、ポーカーの罰ゲームで入れられただけ(!!)と言う症例もあったようです。

Cooper L. DNR tattoos: a cautionary tale.

Journal of general internal medicine : JGIM 2012;27(10):1383-1383

そしてDNRの意味もわからず、気にしていなかったため消すことも無かったとのことでした。。。

流石に勘弁して欲しいと言う気持ちもありますが、当然起こり得ますよね。

逆にこれが消えかけているDNRだったら?読めない言語で書かれていたら?

考えることは山積みになります。

ですが回答はシンプルです。

本人の価値観を聞いて、そこから判断する。

それが聞ける状況でなければ、医学的妥当性に従って適切な治療行為を行うのみ。

この延長線上に議論がうまれることを望みますが、まずはこのDNRの意味など基本的な理解が当たり前になると良いですね。

この辺りの意思決定は以前の記事(緊急ACPの実際)が参考になりますので、ご参照ください。

本日はこの辺で、ではでは。

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